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母に

1.通夜

母の通夜、午前3時、兄が母の棺の前で腹ばい、冒険小説に読み耽っている。小さな頃から、兄は読書に淫していたが、その癖は母の死を前にしても直らないと見える。兄を横目で見ている私も、本を読んでいるのだから、因果な息子たちだ。

本から目を上げる。なんだろう、これは。遠くから近づいてくるものがある。
遥かな、遥かな記憶が立ち上がり、こちらへ駆けてくる。

幼少の頃、私たち兄弟は、母のそばで腹ばい、いつも本を読んでいた。
時々、本から目を上げ、母に話しかける。
母さん、母さん・・・。
母は、微笑を返している。

今、年老いた息子二人は、ふたたび、母の許に帰り、夜を徹して母を守る。母の棺の前で腹ばい、本を読みつつ一夜を明かす。
時々、棺の母に顔を近づけ、こもごも、語りかける。
母さん、母さん・・・。
母は、微笑を返している。

平成17年10月記